00-06|義務教育が「平均」を作るために設計されていた理由

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第1章|均一を美徳とした社会からのアップデート

義務教育は「個性を伸ばす場」ではなかった

義務教育というと、
「一人ひとりの可能性を伸ばすための場」
というイメージを持たれがちです。

でも、制度としての義務教育は、
最初からその目的で作られたわけではありません。

必要とされていたのは、
特別な才能を持つ人ではなく、
一定の基準を満たした人を大量に育てること。

つまり、
「揃った人」を作る仕組みでした。

なぜ「平均」が必要だったのか

義務教育が整えられた時代、
社会が求めていたのは、

・決められた時間に働ける
・指示を理解し、同じように動ける
・大きな偏りがない

そうした人材でした。

工場、組織、集団。
同じリズムで動く社会では、
ばらつきは扱いにくい。

だからこそ、
教育は「伸ばす」よりも
「揃える」ことを優先して設計されました。

平均に近いことは、
安心であり、管理しやすさでもあったのです。

その設計は、今も暮らしに残っている

問題は、
その設計が今も前提として残っていることです。

学校を出たあとも、

・みんなと同じペース
・同じような生活
・同じような正解

が求められ続けます。

でも、
社会の構造も、働き方も、
人の多様性も、
すでに大きく変わっています。

それでもなお、
「平均に合わせる前提」だけが
更新されないまま残っている。

そのズレが、
多くの生きづらさを生んでいます。

平均を疑うことは、否定ではない

平均前提を疑うというと、
教育や社会を否定するように聞こえるかもしれません。

でも、ここでやりたいのは否定ではありません。

「その設計は、今の前提に合っているか」
を問い直すことです。

平均を基準に作られた仕組みの中で、
苦しくなる人がいるなら、
前提そのものを見直す必要があります。

次の記事では、
社会が求める価値が、
なぜ「できる人」から
「尖った人」へと移り始めているのかを見ていきます。

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