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「正解」があると思うほど、人は苦しくなる
暮らしについて考えるとき、
私たちは無意識に
「正解があるはずだ」と思っています。
・ちゃんとした暮らし
・間違っていない選択
・恥ずかしくない生き方
その基準に近づこうとすればするほど、
自分の暮らしを評価し続けることになります。
うまくいっていないと感じるたびに、
「まだ足りない」
「もっとちゃんとしないと」
と、自分にダメ出しをする。
これが、
暮らしを考えるほど疲れていく原因の一つです。
正解は「多くの人に都合がよかった形」
そもそも、
暮らしの「正解」とされてきたものは、
誰のために作られたのでしょうか。
多くの場合それは、
・平均的な人
・一定の体力や余裕がある人
・役割分担が固定された家庭
を前提にしています。
そこから外れる人は、
・頑張りが足りない
・工夫が足りない
・甘えている
と見なされやすくなります。
正解そのものが悪いのではなく、
それが「万人向け」だと思われてきたことが、
多くのズレを生みました。
正解に合わせ続けると、自分が見えなくなる
正解を追い続ける暮らしでは、
判断基準が常に外側にあります。
・これは正しいか
・人からどう見えるか
・普通から外れていないか
その結果、
自分にとってラクかどうか、
続けられるかどうかが後回しになります。
違和感があっても、
「自分が慣れればいい」
「我慢すればいい」
と処理してしまう。
こうして、
暮らしは回っているのに、
心だけが置き去りになります。
正解を捨てることは、投げ出すことではない
正解を手放すというと、
だらしなくなる、
適当になる、
と思われがちです。
でも実際には、
自分の前提に合わせて暮らしを組み直すことです。
・続けられるか
・無理がないか
・回復できるか
を基準にする。
それは、
暮らしを諦めることではなく、
現実に合わせ直すこと。
次の記事では、
構造を変えることで、
なぜ我慢しなくてよくなるのかを見ていきます。


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