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第3章|標準化された社会と、こぼれ落ちる人たち
「普通」は説明されない前提として置かれている
多くの場面で、
私たちは「普通」を前提に扱われています。
・このくらいはできるはず
・これくらいは我慢できるはず
・みんな同じ条件でやっている
でも、この「普通」は、
誰かが丁寧に定義したものではありません。
なんとなく共有され、
疑われないまま、
前提として使われ続けています。
標準は“平均”ではなく“想定”で決まる
標準という言葉は、
平均のように聞こえますが、
実際には「想定」に近いものです。
・このスピードで動ける人
・この量を処理できる人
・この刺激に耐えられる人
そうした想定を基準に、
時間割やルール、評価の仕組みが作られます。
そこに合わない人は、
能力以前に、
最初から不利な位置に置かれます。
合わない人が「できない人」になる仕組み
標準に合わないと、
起きるのは失格ではありません。
起きるのは、
「努力を求められる状態」です。
・もっと慣れればいい
・工夫すればできる
・我慢すれば何とかなる
そうやって、
ズレは本人の課題に変換されます。
結果として、
構造の問題が、
個人の問題にすり替わっていきます。
こぼれ落ちるのは、能力ではなく前提の違い
この世界で起きているのは、
能力の選別ではありません。
前提に合うかどうかの選別です。
同じ人でも、
環境が変われば、
急にラクに回ることがあります。
それは、
本人が変わったからではなく、
前提が合っただけです。


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